2011年10月19日水曜日

皮膚筋炎の記事

 全国膠原病友の会本部より情報が入りました。
皮膚筋炎の記事が毎日新聞に掲載されているようです。
膠原病は種類も症状も本当に様々。
希少膠原病の患者はなかなか情報や同じ病名の方々とお会いするチャンスが
ありません。このことも今後友の会では考えて行かねばならないことの一つです。



皮膚筋炎難病カルテ患者たちのいま/16
                                                       2011 年10 月16 日 提供:毎日新聞社
◇家族と過ごす幸せ悪化する前に職探し今月上旬、
佐賀市の本庄幼稚園で開かれた運動会。
野田宏さん(40)は家族で次女(4)の応援に駆けつけた。
全身を動かし、走り回る姿を、家族で見守った。
仕事に没頭していた発症前、十分には確保できなかった家族の時間だった。

3年前、37~38度の発熱が続いた。指の表面が硬くなったように感じ、
1カ月たつと、ひざ、ひじ、体中の関節が痛くなった。
布団から立ち上がることができなくなり、病院へ。
膠原病(こうげんびょう)の一種「皮膚筋炎」と診断された。
病名が分かったから「良かった、薬を飲めば治るだろう」と思っていた。
すぐ裏切られた。
ネットで「生存率」という言葉が出てきた。
全身を検査すると、甲状腺にがんも見つかった。
「これから家族はどうなるんだ」。
当時、長女は5歳、次女は1歳。自分の症状より、
家族の将来に不安がよぎった。
「娘の結婚式に出るのはきっと、無理なんだろうなあ」
手術は成功し、3カ月後に退院。しかし、日常に人の支えが必要になった。
足に力が入らず、風呂の浴槽をまたげない。
背中を押してもらわないと起き上がれない。
感染症を防ぐめ、外出もしづらくなった。自宅療養は約1年半続いた。

ファストフード店の店長だった。休日はほとんど無く、
1日20時間働くこともあった。
出世のため「評価を落としたくない」と必死だった。
良い家に住み、良い車に乗り、良い服を着る。それが自分にとって、
家族にとって「幸せ」だと思っていた。だからこそ働くこと、
稼ぐことに、力を注いできた。
かかりつけの病院が替わったのを機に昨年3月、
大分から妻の故郷でもある佐賀に移住。仕事も退職した。
現在の収入は発症前の半分以下。部屋も狭くなり、
畳の上に親子で並んで寝ている。

一方、家族で過ごす時間が生まれた。休みの日に、子供と遊びに行く。
喜ぶ顔が見られる。家族で過ごせる、一人で外出できる、
当たり前の生活。
「普通のことが全部楽しい」と思えるようになった。

気温低下が関節痛を招く。味覚障害もある。
今年5月の大型連休には「布団の上をのたうち回る」ような激しい頭痛を起こし、
入院。脳出血だった。
それでも今は「働いていた時より、健康かも」と笑顔を出せる。
11月からは、パソコンの操作を学ぶため訓練施設に通いながら、
職を探す予定だ。

「家族を養うため、やりたいことを見つけるため、
症状が悪化する前に仕事を見つけたい」という思いを強めている。【蒔田備憲】


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◇皮膚筋炎
膠原病の一種で、筋肉に力が入らなくなったり、疲れやすくなったりする。まぶたや手に発疹が出る
のが特徴。筋肉だけでなく臓器に症状が出ることもある。原因は不明。男性に比べて女性の発症率が高
い。医療費助成の対象になる特定疾患と認定されており、09年度に助成を受けたのは約4万1600
人(強皮症、多発性筋炎含む)。




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