2011年9月16日金曜日

難病療養生活と長期避難所生活の両立に疲弊~福島から東京へ

難病患者の被災関連記事です。
 
みなさん もしも自分がその立場だったら・・
どうぞそのようなお気持ちで読まれて見てくださいm(_ _)m



難病療養生活と長期避難所生活の両立に疲弊 -福島から東京へ

「制度の谷間のない障害者福祉の実現を求める実行委員会」呼びかけ人
佐藤 香織

2011年9月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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被災地の復旧復興のため、みなさまからの長期にわたるご支援、
心から感謝申し上げます。

私は進行性難病疾患を抱え3月24日以降、福島県内陸から東京で
自主避難生活を送っています。
薬と数日分の入院用品を持って、1~2週間身体を休めるつもりが、
6ヶ月が過ぎました。
いまだ震災時や被災地の報道が痛々しく、新聞、ニュースは見られません。
続く余震や洪水による被害を見聞きすると、またあの恐怖に襲われます。

被災地の要介護高齢者や重度の障害者についてはメディアが取り上げています
が、福祉制度から洩れている私達難病患者については関心を持たれていません。
知人友人から、なぜ内陸から?なぜいつまでも?
と質問攻めやご忠告を受けることがあります。
都会でひとりで生活を続けるに至り、どのような支障や不安を体験しているか
自分の口で話さなくてはと、重い筆をとることにしました。

○避難
1.3月11日(金)
あの日は受診日。ベッドから国会中継を見ていると、
警報音と地震警報が流れた。
「ん?」と思っていると、激しい揺れがやってきた。
テレビの中で与謝野大臣が天井のシャンデリアを見上げ、
それは振り子のように大きく揺れていた。築30年、9階建て8階の私の部屋は
あっという間にめちゃめちゃになった。
本棚やテレビが倒れるのを抑えていると、どこかで放水のような音がし、
台所へ行くと床が水浸し。電気温水器室の水道管が根元から折れて、
水が噴出していた。
その後、近所の人に病院まで送ってもらった。
病院待合室のテレビは恐ろしい地震中継。
震えている私を見つけた看護婦さんが先生に報告してくれたが、
「今日はそれどころじゃない。薬のみで。」と帰された。

2.週末 ・・・避難所一ヶ所目
近所のボランティアさん宅に連絡し、土日の2日間泊めてもらった。

3.翌週 ・・・避難所二ヶ所目

市役所へ避難所を聞くと、「体育館は勧められない。
病人は病院へ行ってください。
こちらはテント設営で忙しい。」とのこと。
避難先のご近所宅から別の場所へとお願いされたこともあり、
車で15分の温泉宿で無料開放の情報を得られ、チェックインした。
その後フロントから、「地元の人は困る。」と言われ、 
経緯を説明すると、「どんな発作を持っているのか?病人は困る。」
 と言われた。
東京の患者支援団体へ連絡すると、病人は優先的に避難指示が出ているので
安心して居座るようにと指示をもらった。
朝昼晩、避難所での無料提供の食事は、塩おむすび2個とお味噌汁と漬物3切れ。
旅館社長より、「阪神淡路大震災を教訓にみなさんの役に立ちたい。
安心してください。」と書面が配られた。

病院の予約日に受診すると、医師から薬の在庫の心配を聞いた。
次回受診は2ヶ月後になった。

旅館は原発付近からの避難者で定員を超え、客室から宴会場へ移され、
「いつ出て行くんですか?」と催促されるようになり、
ご近所さんが差し入れをフロントに預けた時、「すぐに連れてってください!」
と大声で言い、私へも、「そういう人がいるなら今すぐ出て行ってください!」
と言われ、結局旅館を出されてしまった。

4.9日目 ・・・避難所三ヶ所目 

一泊5,000円朝食付きのビジネスホテルに4泊した。

5.東京へ 

市内三つの病院のうち、県立の病院は損壊がひどくて閉鎖。
郊外の病院は搬送患者優先で外来閉鎖。かかりつけの病院も外来制限。
薬局は在庫不足。ガソリン・灯油がない、食料品・生活品がない、
ホテルに有料宿泊も限界で、東京の患者支援団体の手配で、
東京へ一時的に避難することにした。

○知らない土地での生活 
1)3月末から一週間、寝たきり障害者さんのお宅へ 
・・・避難所四ヶ所目
寒い地域から逃れてきたのに、計画停電で東京も寒い。
電車の間引き運転や、エレベーターやエスカレーターが突然止まるという
ニュース。スーパーも食材が不足していた。

呼吸が苦しくて眠れない、食べられない、体中が痛い。
どこの何科を受診すればいいのか、誰に相談すればいいのかわからない。
難病患者ではなく避難者として、総合病院のメンタルヘルス科を受診し、
医師から、入院か、病院から近い避難所を探すかをすすめられ、
NPO団体へ相談した。

2)4月初旬、都心部へ移動 ・・・避難所五ヶ所目

食事なし2ヶ月間のみ無料のビジネスホテルを紹介され、
すぐに引っ越した。災害救助法による避難者支援として、
週一回90分のボランティアヘルパーさんを派遣してもらった。

3)ホテルの外

東京は、町のつくりが違った。ビルだらけで近くにセブンイレブンしかない。
売っているお弁当は塩分が高くて野菜不足で食べられない。
歩行困難なので遠くまで買い物に行けない。
常用薬の一部は東京でも不足していた。取り寄せに数日かかるそうで、
タクシーで30分の病院へ何度も往復できない。
近所の薬局を探し、在庫確認や現物確認、処方箋のもらい方など、
何度も行き来した。

4)ホテルの中

避難者は外泊禁止。そのため一時帰宅ができない。
入院になったらホテルを出なければならない。
プライバシーの保護で、どこから誰がどの部屋に避難しているのか
教えてもらえない。避難者の集まりがない。
公的な避難所ではないため、被災地の情報がない。
他の避難所のような支援の人は誰も来ない。毎月末に延長の可不可が決まる。
新規避難者受け入れは8月いっぱいで締め切られる。

○夜間休日の不安

三ヶ月目の6月にまた体調が悪化し、発熱、痛み、呼吸困難などで
救急外来受診が増えた。体が辛くて動けないときどうすればいいか
あちこちに相談した。ある時、介護保険でなくても訪問看護サービスを
受けることができることを知った。幾度も面談をして症状を訴えて、
手続きを踏んだ。

・・・・・
現在は三つの外来通院と、週一回の訪問看護・訪問診療を受けている。
だが、「難病患者等居宅支援事業」実施地域は少なく、
自由に利用できない。孤立を強いられた期限付き非日常生活に縛られながら、
複雑な医療の自己調整は続いている。
難病患者は心も疲れやすい。今回の震災を機に、適切な情報と窓口、
線引きなき福祉避難所と、遠回りせずに活用できる
難病患者医療体制を切に願う。


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